ちるちる【カニ】のブログ

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「生きたい」という意志こそ生き物としての証【仮面ライダーアマゾンズ シーズン2 11話感想】 

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【注意】ネタバレありです。

 

仮面ライダーアマゾンズシーズン2が盛り上がってきてますね!

 

シーズン2は、シーズン1よりもグロテスクな表現が増え、スプラッター系の映画が苦手な、ちるちるは視聴を挫折しそうになったのですが、痛そうなシーンをなんとか薄目で胡麻化しながら、頑張って視聴を続けました(笑)

 

最初、主人公の千翼とイユのボーイズミーラブ的な流れと、前述したスプラッターシーンが続いたのですが、7話にて、待望のアマゾンアルファ鷹山仁が登場し、シーズン1メンバーが揃い、一気にお話が面白くなってきました。鷹山仁、怖いけどカッコいい!

 

ということで、11話まで観賞する事が出来ました。

 

ここまで見てきて、シーズン1でやや曖昧に終わった感のある「生きるとはどういうことなのか」的なテーマについて、新たな考えを感じたのでまとめてみたいと思います。

 

答えの出なかったシーズン1

 

11話の時点で、主人公である千翼は、人に感染するアマゾン細胞の現況である「オリジナルアマゾン」として、アマゾン駆除対の4Cや、父である鷹山仁、さらに大好きなイユちゃんにも駆除対象として追われる身となってしまいます。

 

そんな状況の中でも、千翼は「生き物」である為、お腹は空いてしまいます。廃棄されてる、ハンバーガーを食べようとするも体が受け付けない。生きる為には人間を食うしかないのか、という状況に葛藤します。

 

千翼は、自分という存在が悲劇を招いている。自分が殺されれば、問題は解決するとわかっています。それでも「生きたい」「恋をしたい」と、もがく姿が今回の11話で特に描かれます。

 

この頭では悪いとわかっていても、生きたいんだ!という千翼の姿に、シーズン1では答えの出なかった「生きる」という事に対する、ひとつの答えを制作者は示しているのではないかと感じました。

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シーズン1においては、「全てのアマゾンを殺し、人間を守る」 というアマゾンアルファ鷹山仁と「自分が守りたいものを守る」というアマゾンオメガ水澤悠による、価値観や立場の違うキャラクター達の対立を軸に「生き物を殺すことの是非」や「そもそも生きるとは」という事について語られました。

 

最終回でどのような帰結をするのだろうと観賞していたのですが、シーズン1においては、明確な答え(正義)は言及されませんでした。

 

厳密には、平成初期の仮面ライダーに多く見られる「正義は人の数だけあり、たった一つの正しい正義などない」というテーマを引き継いだ形となりました。

 

このテーマはフィクションの世界だけでなく、現実の身近な人間関係や、国家や人種間の中にあるひとつの真実である為、仮面ライター龍騎あたりから、頻繁に扱われてきました。

 

そして、平成初期のDNAを引き継いだ仮面ライダーアマゾンズにおいて、再度扱われました。ただ、ちるちるは、シーズン1のラストを見て「昔と言ってる事が一緒で進歩がないのではないか」と感じてしまいました。

 

結局、鷹山仁と、水澤悠の戦いは、決着がつかず、もやもやっとしたまま、シーズン1は終わってしまいました。

 

 でも、今回のシーズン2の主人公の千翼の姿を見て、アマゾンズで伝えたかったことは、こういうだったのかなと感じるようになりました。 

 

「生きたい」少年少女達の叫び

 

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「それでも俺は腹がへるし、食べたいし、生きたいって思ってる」

 

 このセリフは、11話にて、追われる身となった千翼が昔の仲間である、ヒロキに対して言うセリフです。

 

 オリジナルのアマゾンとして、あやゆる問題の元凶となっている事を千翼自身も自覚している。それでも生きたいんだ、と涙を流す。

 

この、一見わがままで、かつ純粋な思いを訴える千翼の姿を通して、制作者は、人間やアマゾン関係ない「生き物の在り方」を伝えたかったのではないかと感じました。 

 

 シーズン1において、鷹山仁や水澤悠などを初め、いろいろな正義が語られます。でも、今改めて見返すと、その正義はすべて「大人の都合」であったり「頭で考えた論理」という感じがしました。

 

結局は自分を正当化する為に、頭で考えだした「大人の都合の争い」だったように感じます。自分を正当化するのが目的だから絶対に答えはでなかった。

 

 恐らく制作者の方々もそれを自覚されており、その構造を打破する為に、今回のシーズン2では千翼とイユという未成熟だけど純粋な想いを持つ「少年」と「少女」達を主人公にしたのではないかと思います。

 

「お腹空いたから食べたい」「恋がしたい」「生きたい」「痛いのはイヤ」

 

少年少女たちは、大人のように損得を考えて、自分をコントロールするのではなく、純粋に欲求します。

 

この純粋に「生きたい」という意志の中に、生き物としての姿を表現したいのではないかと今回の11話を見て、感じました。

 

 千翼のそんな姿に、鼓音するかのように、今まで感情がなかったイユは千翼の手を取り、逃避行します。二人に待ち受ける運命はいかに……。出来れば二人の純粋な笑顔がみたいです。

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